こんにちは!占い師の光子です。
京都と伊勢への学びの旅、最終回です。
(最初の①から読みたい方はこちらです)
内宮の、天照大御神様の荒御魂がお祀りされている荒祭宮で
『正宮でね!』
と2回、天照大御神様が念押し(?)されたのを受けて、荒祭宮から正宮へ向かいます。
正宮に着くまでは、先ほど気づいた〈背中から光を出すイメージ〉を実際にやってみるいい機会!
ということで、自分の背中から、後光のように光が出ているイメージをしながら歩いて行きました。
結果、とってもいい感じ!
人が多いのにかなり体が楽です!
神様の『強くね!』のお言葉のように、強くはっきりとした存在でいることを意識して進みます。
そのまま、すいすいと、たくさんの人と一緒に正宮の前の石段を上がります。
それにしたって、人多いって…(^^;)
石段を上りきり、正宮のすぐ前まで来ましたが、あまりの人の多さに、ひとまず荒祭宮と同じく、神様から見て左側の端へ寄って一休みです。
するとそこに、見覚えのある木が!!
「あ!この木、猿田彦神社の天宇受売命(あめのうずめのみこと)様のおそばに奉納されていた木と、同じ木だ!!」
すっきりと伸びて生えて、すごく元気なエネルギーの木。
なんだか、見れば見るほど神々しい木で、
「わー、すてきな木だなぁ」
と思って見とれていたら…
突然、とても大きな玉が見えました。
私の頭上より少し上で、神様と私の間の、斜め上の位置に玉はありました。
大きさは私の胴回りよりもずっと大きくて、木の周りに両手を回すように円を作った時より、ひと回りか二回りも大きい。
色は、白でも透明でも、黄色でもなく。
紫に近い色。とても色の濃い紫色でした。
そして、光っている、というか光沢がある感じで、光って見えます。
玉が見えたのは本当に一瞬。
「え!あれは何?」
と思った時には、玉は上から押さえつけたように形が歪んで、私の中に入りました。
正確には、入ったというより、私の中にぐいっ!と入れられた、という方が正しいです。
自然に入ったのではなく、違うもの・異質なもの同士を合わせる時のように、力を込めて入れる様でした。
その瞬間、私の体はというと、下からぐいっと突き上げられたようになって、馴染むまで全身をエネルギーが駆け巡るようになっていました。
ビリビリがくがくしていた、という感じですね。
すごい色の玉だったし、玉が私の内側に入った時の衝撃が大きくて、正直とても驚いたのですが…
体の中にきちんと収まったと同時に、背中からエネルギーがジェット噴射!!!するようになりました。
とても不思議だったけれど
「ああ、これは神様がエネルギーを入れてくださったのか!」
と納得です。
上から押さえつけるように歪んで合わさったので、たぶん、神様が手で、押してくださったのかな?
それまで私が自身から出ているものとしてイメージできる光やエネルギーは、黄色でした。
そして出方は、ほわわんとしたものです。
シュバババー!!!!っと出たりはしません。
ところが、ぐいっと入れてくださったエネルギーは、紫色だし、出方が尋常じゃない!!
「私、人間モーターボートになったみたい」
と思うくらい、ものすごい勢いで、多量に、シュバババー!!!!!と出ているのです。
それに、それまでのイメージで守っていたのは体の背面だけだったのですが、紫色のジェット噴射は、背後から私を丸く守ってくれています。
なんだかすごいのは、よくわかりました。
この状態なら、たぶん人が多いところに行っても大丈夫。
だけど、正宮の前は余りにも人が多くて、ちょっと怖い。
そんなわけで、どうしようかなぁとしばらく同じところにいたのですが、ふと、目にとまる人がいらしてですね。
その方が神前を去った瞬間に、
「よし!行こう!」
と歩き出して、お祈りを待つ人の列に並びました。
すごいですよ、ジェット噴射。
人が多いのに全然平気!
平気で並んで待っていられて、本当にすごいなぁと思っているうちに、私の番です。
またもや、神様との間の布は、ふわふわと風に舞い始めていました。
そんなことを気にしていても仕方ないということで、天照大御神様に二礼二拍手一礼と祝詞のお祈りをして、日々の感謝やカードのあれこれへの感謝など、感謝の気持ちをお伝えします。
そしてもちろん、忘れちゃいけない、
「エネルギーを入れてくださって、ありがとうございました!」
とお伝えすると、神様は…
『上手に使ってね!』
とのこと。
?上手に?
ということは、どういうことだろう?
誰かに何かをあげた時、人は
「大事に使ってね」
というのが常ですが、神様がおっしゃったのは、大事にではなく上手に。
これは、誰かを傷つけるために使ってはいけないし、悪用してもいけないということでしょう。(当然ながら)
それ以上には、何をおっしゃっていたのかしら??
これは深く考えて、どうやって使うものか、きちんと見極めていく必要があるのでしょう。
そんなふうに考えながら、神前を後にしようと深くお辞儀をすると、先ほどからゆらゆらと布を揺らしていた風が、ひとたび大きく吹いて、頭を下げた私の位置からは、完全に神様の方が見えてしまいました。
こんなこと言っていいのか、わからないのですが、
「わ、とてもシンプル」
と思ったのです。
布の向こうを見て、感じたことですね。
真理は、私たち全ての人の子のお母さんは、本当にシンプルなのかもしれない。
光であり、母であり、全てである。
難しいようで、本当はとてもシンプルなのかもしれませんね。
というわけで、楽しい!波乱万丈!濃い!京都と伊勢の学びの旅は終わりです。
帰りに、天照大御神様の新しいお札をいただいて、そして
「あ、あのお守りだ!」
と感じるお守りがあって、そちらのお守りをいただいて帰りました。
どんなエネルギーなのか他と比べて確かめてみても、やっぱりそのお守りだけが他と異なって、はっきりとして、私と親和性が高いエネルギーでした。
そのお守りの色は、ジェット噴射の色と、とても似ていて、
「私は今回の旅で、こちらのお守りをいただくことになっていたのだな」
と、とても納得しました。
そんなことを考えると、1日目に京都で下鴨神社で間に合わなかったことまで含めて、神々のみな様の、采配の内だったのだろうと思います。
今回の旅の後から、なんだかものすごく、首が回るんですー。
肩こりがかなり改善した感じ?
そして、神様から叱咤激励を受けながら学んだ
「我を通す。人に譲って自分を追い詰めない」
ということを、意識して生活しています。
子どもも含めた、誰かの人生の黒子でいるのはやめて、強くはっきりとした存在でいるよう、心がけるようになりました。
人間関係の中でも、いらぬところで、相手の機嫌をとるために、不必要に謝ったり、本心でもない感謝の言葉を使うことをやめました。
お祈りの仕方もシンプルに。
長い祝詞である、大祓詞を唱えても、約8分で全てのお祈りが終わります。
長いこと、過度・過剰なことが、人も自分も幸せにするわけではない。
もちろん、その瞬間の局面では、相手はいい気分になるかもしれない。
それでも、本心ではないもの、人間関係を円滑にするための自分への負荷は、本当は誰も幸せになってないし、自分を少しずつ蝕んで、苦しめる。
だから、無駄を省いて、自分に楽させる、幸せにする。
そんなことを意識して生活するようになりました。
最後に、正宮でのお祈りの後に、撮った私の写真です。
自撮りに慣れてなくて、サクッと数枚撮って済ませようとしたら、神様に
『写真撮れたの?もっと撮ったら?』
とお言葉をいただいて撮った写真です。
(撮り直さなかったら、載せられなかった(^^;) )
それからその次に、帰りの新幹線から撮った、大山の写真も、です。
このブログを書くためのメモがひと段落して、ふっと外を見たら…
「わー、すっごく神々しい山だな。形が大山に似てるかも?」
とグーグルマップさんに現在地から山の名前を教えてもらうと、大山でした。
大山阿夫利神社の大山です。
大山祇神様の大山阿夫利神社ですね!
(一昨年の夏に登りました。ありがたや。)
最後までお付き合いくださったあなた!ありがとうございました(*^^*)
(これ、本心!!)
あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。
光子でした。