こんにちは!占い師の光子です。
このところ、星や天文学、それから暦のことを調べています。
というのも『神様と作った四神タロット』の小アルカナのモチーフとして見せていただいたのが、地球を中心として、太陽系をもっとずっと外側から見ている光景だったからです。
このモチーフ、ある神社で最初に見せていただいた時は
「星かぁ…」
という感想しか出てきませんでした。というのも、
「西洋占星術は何度見聞きしても、全く覚えられないマン!!」
「理科は好きだったけど、星座とかは超超苦手でチンプンカンプンだった」
という具合で、とにかく苦手意識が強いのです。
ところが、「星かぁ」の感想の直後に、スマホを開くと、四柱推命の師匠から
「水星のことを昔の中国では辰星と呼ぶ」
というメールが届いていて、
「ふあぁぁぁ!!!」
と驚いたのです。
(辰の話をしていました)
そこから調べ始めると、四神のそもそものルーツは、星座にあることを見つけたりと、思わぬ進展がありました。
それでも、星への苦手意識から躊躇していると、今度はまた別の神社で、前回より詳細な太陽系や星々の姿を、そしてそこに十二支が書かれているビジョンを見せていただきました。
「前回のと同じだ。もっと詳しいし、十二支書いてあるけど」
という驚きを持ちつつ、これは本腰いれてやらなければ、ということで取り掛かった次第です…
最初は、宇宙や天文学の本から…
調べているうちに、司馬遷の史記の「天官書」という、古代の人が夜空をどう見ていたかを書いた資料があることを見つけたり。(もちろん読みました)
木星の公転周期はほぼ12年で、土星の公転周期はほぼ30年と、初めて知ったり。
これは木星はわかりやすく干支の一周と同じですね。
30年というのは、四柱推命で人生のステージが変わる「接木運」というのが30年です。
(そもそも木星の位置がどこにあるかで、「〇〇の年」と最初は呼ぶようになったそうです。木星と干支は逆回りなので、干支のために木星と逆回りの架空の星が設定されたそうです)
それから、それぞれの月のことを「子月」「寅月」など呼ぶのですが、これがどこから来たものなのかも、初めてちゃんと認識しました。
普段自分がやっていることとの関連性も見つけたりと、とってもおもしろい発見に満ちていました。
それから、調べて調べてたどりついた今の私の考えですが、
「結局十二支って、方位を表すものと言っていいのでは?」
と思い至っています。
(オタク知識ですが…年は木星の方位、月は月建の位置&地球の公転周期上の位置、時間は太陽の位置)
そんな楽しいオタクな日々だったのですが、どれだけ星や宇宙のことを調べても、考えても、すんなりと理解ができない感じがしたのです。
イメージはできるけど、手に取るようにはわからない感じ、でしょうか。
「なんでだろう…」
と思っていたのですが、これが8月に筑前大島に行ったら、謎が解けました。
大島での初日に、眠れなかった時に。
夜中の1時でしたが、ひとりで外に出て、海辺から空を見上げました。
すると、それはそれはたくさんの星が、瞬いていました。
そして高い建物も少ないし、特に海の側は、遮るものが何もありません。
「夜空って、こんなに広かったんだ…!!」
と驚きと共に思いました。
そしてこれまで読んでいた本のことは
「あぁ!!これの話をしてたのね!!」
と初めて理解できたのです。
頭の中で考えるのと、スケールが全然違いました。
この広い空を、惑星や星座が移動するとか、エリア分けして分割するとか、そういう話をしていたのかと、初めて実体験としてわかったのです。
そして、
「暦を見るだけでなく、星空を見ないと、昔の人が見つけていた神髄には、たどり着けないのでは?」
と思ったのです。
これがどこまで行くのか…
ひとまず小アルカナのモチーフとして、何を描くかを見つけなければなのですが、完成した暁には、こっちの空を使った方も、占術として確立したいなぁ、というのが今の気持ちです。
楽しみ過ぎる、そしてちょっとドキドキ。
ひとまず、小アルカナに向けてがんばります(*^^*)
あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。
光子でした。
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星空が教えてくれること
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