こんにちは!占い師の光子です。
先日、遠出をしてきました。
行った先で神社に行くのが、私のお決まりの流れなのですが…今回、三の鳥居の前まで行ったのに、神社に入ることができませんでした。
なぜ入れなかったのか?それは少々長い話なのですが…
神社の御祭神って、結構様々で、一口に神様と言っても、その土地の神様だったり、神話に出てくる方だったり、剣だったり、元々人だった方だったり、いろんな神様がいらっしゃるんです。
そのうち、私はもともと人だった方をお祀りしている神社が、苦手です。
全然平気なのは、天神さまだけです。
天神さまは、それはもう数えきれないほど何度もお目にかかっているのもあって、平気です。
だから私も、神様として向き合わせていただいているのですが、そんな天神さまに
「自分は人だから」
と示された時がありました。
神様としてお伺いしようかと思っていた矢先、天神さまの方から、生前暮らしていたお部屋の様子や、お亡くなりになった時のお姿など、一連の映像として見せてくださったのです。
それを見た時に、
「これは…自分は生きていた人なんだということか」
と理解して、神様でありつつも人なんだと捉えることにしました。
良く考えてみれば、それまでも反応がとても人っぽかったな、と気づいたり。
例えば、泣いている時の反応が
「……え、泣いてる…どうした?」
と戸惑われていたんですね。
人間の男の人が、泣いてる人を見た時の反応に、すごく似てました。
通常神様は、泣いていても、全然気にしません。
というか、なんで泣いてるのかお見通しだし、泣いていようがこちらに落ち度があれば、一喝されるし…
泣いていることに対して
「大丈夫か?」
なんて反応はありません。
(体に無理を強いてる時には「大丈夫か、無理するなよ」とお声かけくださいます。あんまり無理してると「だめだ」と止められます)
でもそんな、動揺しながらも気遣ってくださる優しさに、私は天神さまがますます大好きになりました。
今回向かった神社は、一緒に行った人が行きたかった場所で、私は
「いいよ、行こう!」
と同意した場所でした。
事前にホームページを見ると、清浄なエネルギーが力強くあふれているし、御祭神が人であるのは気になるけど、人と言っても古代人だし、きっと大丈夫だろう、と向かったのです。
でも結果は、二の鳥居を入る時点で、鳥居の外まで強いエネルギーがあふれているのに、
「なんか変。怖い。神様っぽくない…」
と違和感を感じました。
私の好きな、どこまでも清浄なエネルギーとは、どうも違うのです。
三の鳥居に入るべく手口を清めるも…
「めちゃめちゃエネルギー強いのに、ここなんか…神社ってよりお墓だ……」
と近づけば近づくほどはっきりと感じます。
「ここ、入ったら自分のエネルギーバランス崩す」
と本能的な怖さを感じて、
「ごめん、やっぱり入れない。行ってきていいよ」
と神社の前で待つことにしました。
なんで入れなかったのか…少々ショックでした。
そして、
「人なのに、あんなに強いエネルギーを持つことができるのか?」
「なぜお墓みたいなのか?」
「でもお墓のエネルギー100%でもなかった…」
と数々の疑問が浮かびます。
その神社、どちらの地方のなんという神社なのか、明言は避けますが、とある英雄を主祭神とした神社です。
悪を征伐した英雄です。
でもその地方には、倒された悪の方を慰めるようなお祭りもあるし、倒された方をお祀りしている神社もあります。
帰ってきてから調べたことによると、御神体になっている山は、元々古代祭祀の場所だったそう。
ところが英雄は御神体の山に住み、住んだ山に葬られたとのこと…。
「????」
頭の中が?だらけでした。
古代祭祀の場に葬るって、どういうこと??
ひとまず、お墓だと感じたのは、本当にその通りだったみたいです。
普通の山と古墳って、見た目はそっくりでもエネルギー的に全然違います。
というのは、宗像大社に行くバスの中から
「あれ、山が見えるけど、なんか山じゃないぞ」
「あっちも山じゃない、けどあれは山だな」
と見ていて気づいたことで、初めて知りました。
明確にはわからないけど、山じゃないと感じた山は、古墳だったのでしょう。
自然が造成した山とは、全然違うんです。
今回は、山は山でした。
自然が作った山でした。
でも、違和感。
釈然としないと思いながらも、その日は眠りにつきました。
まだ半分眠ってうつらうつらしている時に、ふと
「倒された悪は、人じゃなかったことになっているけど、本当は土地の有力者だったんじゃないか?」
とひらめきます。
そして英雄が朝廷側の人なのは、史実でも明らかです。
「土地の支配権を得たい朝廷が、有力者を倒した」
というのが、伝説の本当の姿だったんじゃないだろうか。
そんなことに気づきます。
そうなると、古代祭祀の場であったことも、そこに葬られたこともすべて合点がいきます。
古代、祭祀をしていたのは、元々その場所に住んでいた人たち。
倒された悪の側です。
先住民にとって神聖な場所であったところに、あえて住み、そこを墓とする。
そういった形での、宗教的な蹂躙だったのではないかと思い至りました。
もちろん、その神社にお勤めされている方もいるし、大切に信仰されている方もいるので、どこの神社とは言えません。
けれど、宗教的な支配があったのだとすると、
・ものすごくエネルギーが強いのは、元々エネルギーが強い場所=古代祭祀の場であるから
・エネルギーが変なのは、祭祀の場の上にお墓が築かれたから
・だからエネルギーがねじくれている
と合点がいきます。
と、ここから気になるのは、
「いったいどこまでが神様なのか?」
ということです。
古代人はどんなに時間が経っても、やっぱり人である。
じゃあ、神話の中の神々が、どこから人になったのか??
この1年弱、私はたくさんの神様に会いに行きました。
その方たちは、神様でした。
人ではなかったのです。
霧島神宮にも行ったと書きましたね。
邇邇芸命さまも、神様でした。
もっと言えば、ウガヤフキアエズさまも、神様でした。
(霧島神宮の翌日に、住吉大社でもお目にかかったからか、声をかけてくださいました。スナフキンみたいな喋りでした)
※霧島神宮に行った話はこちら
じゃあ、どこから人になったんだろう???
と不思議になりませんか?
私たちのご先祖様が神様じゃなかったの?
人の祖先は神ということで、数々の豪族や有力者が
「自分たちは〇〇の神の末裔」
って言っていたよね…
末裔の話は
「ほんまかいな」
と話半分で捉えていたけど…
じゃあ神様って、なんだろう??
神様と人は明らかに違います。
神様には迷いとか、躊躇なんてものがありません。
「こうしたいからこう」
「本当はいやだけど受け入れる」
と釈然としない気持ちを持っていたとしても、
本当にストレートにまっすぐな想いしかない。
そしてエネルギー的にも、全然人とは違うんです。
嬉しいことはもちろん嬉しいだし、むかっ腹が立つ時もあるようです。
でも、すっごいストレートなんです。
人の子を導くために、ふりをする、振舞う時はあっても、ご自身の体裁を保つために、本心とは違う振舞いをすることはありません。
神様ってなんだろう。
どこから神じゃなく人になったんだろう。
この疑問は、まだ全然解けません。
いつか解ける日はくるのかな?
あなたは、どう思いますか?
あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。
光子でした。
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神と人はどこから違う?
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