こんにちは!占い師の光子です。
神社大好きマンの私ですが、実はお寺もたまに行きます。
今日は、聖天さまこと、歓喜天さまのことについて書きます。
歓喜天さまは、頭は象で、体は人間の形で表現されることの多い神様です。
ガネーシャですね。インドの神様です。
そして歓喜天さま、とーーーーっても怖い神様、ということになってます。
現世利益を叶える力はピカイチ!!けれど、同時に怒らせたら大変なことになる神様と言われています。
そんな歓喜天さまに、ある時、ある方からご紹介をいただいて、お参りに伺いました。
「失礼のないように」
そう細心の注意を払いながら、お参りをさせていただきました。
それはそれはすごいエネルギーでした。
でも、私は全然嫌じゃなくて、むしろ
「ここ好き!優しい感じがする」
とも感じていました。
そんな聖天さまこと、歓喜天さまのお人柄(お神柄かな?)を深く感じたエピソードをひとつ。
私は、毎朝晩のお祈りで、縁あって参拝させていただいた神様方の神社の方を向いて、ありがとうございます、と手を合わせています。
そうすると、みなさんお応えいただくのですが、その時に、聖天さまのお応えは、他の神様方とは桁違いに温かいというか
「うんうん、今日も大丈夫だからねー!!」
という、優しさやお気持ちにあふれています。
ところがですね、体調が悪い時は、
「〇〇の神様、ありがとうございます」
といつもはそれぞれに手を合わせるところを、
「みなさま、ありがとうございます」
でご先祖様から、土地神さま、それぞれの神社の神様までまとめて済ませてしまいます。
特に今まではそれで問題があったことはないのですが…
ある日、本当に体調が悪くて、朝も夜もまとめてで済ませた日がありました。
翌朝、元気になったので、それぞれの神様に
「〇〇の神様、ありがとうございます」
と手を合わせて回ったところ、聖天さまの番になった時、
「あれ?いつもと違う」
と思ったのです。
あれ?いつもより塩対応?と思いながらも
「歓喜天さま、ありがとうございます」
と手を合わせたところ…
『…もううう!!!どうしたのかと思った!!心配してたんだよ!!よかった(ノД`)・゜・。』
と、言葉でおっしゃったわけではないのですが、そういうリアクションだったのです。
…乏しい表現で恐縮ですが…伝わりましたか?
このエモーショナルな感じ。
日本の神様の感じとは、全然違うんですよ。
それだけ、気持ちをかけてくださるんです。
たった一日でも、本気の気持ちを向けさせていただくことを欠くと、心配になられるんです。
それって
「我を敬え。大切に扱え」
ではなくて
「うんうん、今日も君が元気なのを知らせてくれて、安心したよ!嬉しいよ!」
なんです。
人間で考えた時も、そんな温かい気持ちを絶えずかけてくれる人のことを、無下に扱うのって、どうでしょう?
悪気なく無下にしても、傷つくであろうことは容易に想像つきますよね。
しかも人間ではなく、神様。
それもどんな望みでも叶える、力強さのある神様です。
(だから叶うかどうか疑うなんて、もっての外)
一度ご縁をいただき頼ったなら、ずっとずっと大切にさせていただく気持ちが、本当に大切なのです。
歓喜天さまは本当は怖くありません。
情が厚くて、面倒見がとてもよい、エモーショナルな神様です。
とても想いをかけてくださるからこそ、願いが叶うように本気で取り計らってくださるからこそ、人間の側が「やっぱりやーめた」とか聖天さまを大切にすることをやめた時に、とてもがっかりされるだけです。
けれど、軽い気持ちでご縁をいただくのもいけません。
だから、神社の神様以上に、ずっと大切にし続ける気持ちがあって、初めてご挨拶に伺うべき方だと私は思います。
そして、何でも叶えられる神様ですが、本気の本気で叶えたいこと、自分の中で願いが覆ることがないくらい、本当に叶えたいことの時にしか、お願い事をしないのが無難です。
本気の願いでないのなら、ご縁をいただいてお参りできることの感謝を申し上げるに留めておいた方がよいです。
お願い事をしなくても、感謝を申し上げるだけでも、厚くサポートしてくださいます。
一度ご縁をいただいなら、ずっとずっと、大切にし続ける気持ちがあるかどうか、そこにかかっています。
すごい神様なんですよ。
でも誰にでもお勧めできる神様ではありません。
それでも、
「聖天さまは怖い」
この世間の誤解は、どうにかならないものかしら?と思って、書かせていただきました。
あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。
光子でした。