こんにちは!占い師の光子です。
今日は東京の府中市にある、大國魂神社に行ってきました。
ことの起こりは…
私は朝晩、神棚の他に、ご縁をいただいた神社の神様に向けて、
「ありがとうございます」と手を合わせています。
ところがこの1週間ほど前から、
「そっちには行ってないけどな…」
という方向から、毎回、
「忘れないでね〜」
という感じで、呼ばれていました。
「なんだろうな?(そもそも神様かな?)」
とちょっと不思議に思いつつも、そちらにも手を合わせていました。
毎日続くと流石に気になるので、そちらの方角はどこにあたるのか、何があるのか地図で見てみます。
すると
「あ、1歳まで住んでたところだ」
と気づきます。
私は生まれは岡山ですが、その後は1歳まで府中に住んでいました。
正直、全く記憶はありません。
昔、都民だったらしい(都下だけど)くらいの気持ちしかなく、記憶にある限り、市役所に用事で行った1回しか、行ったことがありません。
「ふーん、なんだろな」
と思いながら府中の神社を見ていると
【大國魂神社】を見つけます。
大國魂神社、実はこの2ヶ月くらい、何度も見たり、聞いたり、
「あ、まただ」
と思っていた神社でした。
これはもしかして…行っておくところ?と思い、お天気にも体調にも恵まれた今日、出かけていきました。
境内が見えるところまで来た時、
「あ、ここ来たことある」
と思います。
いつ来たとか、何があったとか、思い出せるわけではないのですが、
「ここ初めてじゃない、知ってる」
と思ったのです。
下鴨神社での出来事のように、過去世の記憶とか不思議じみたものではなく、純粋に知っていました。
参道を歩きながら、なぜか
「ふわぁー、しあわせーー♡♡」
と幸福感がこみ上げて来て、ふわふわしたような気持ちで進みました。
門を入ると、神様の気の力強さが押し寄せて来て
「うわぁ、強いな」
と、ひとり顔をしかめながら歩きます。
初めて来た神社なら、調整のために歩けなくなるレベルに神様の気が強いのに、すんなり歩けました。
調整しなきゃいけないほどの、ギャップがなかったことからも、
「あ、やっぱりここ来たことあるんだ」
と確信します。
摂末社を回りつつ、混んでいる本殿の前に並ぶと、不思議なことに私の番になった途端、誰もいなくなりました。
直前まで混んでいたに、隣にも後ろにも、誰もいないのです。
自分の後ろに待っている人がいると、神様やお祈りに集中できない性質なので、本当にありがたかったです。(早く譲らなきゃって思うんです(^^;))
そしてお祈りをしながら、なぜか泣いていました。
本殿だけでなく、摂末社でお祈りしている時も、
なぜか涙がこみあげました。
「やっと来られた」みたいな気持ちはないし、
悲しいわけでも嬉しいわけでもない。
それでも涙がこみ上げるという、不思議な現象でした。
先日書いた、産土神さまのこともそうですが、
「自分の記憶がなかった時、本当に小さい時に行った場所、いた場所に行ってみる」
これって、結構おもしろいのではないかと思っています。
子どもって、やっぱりちょっと特別な生き物(?)だと思うんですよ。
そもそもお守護さん(守護霊さん)の大きさが、大人の比じゃないし。
そんな子どもの時に、深いつながりを持っていた神仏との関りを、取り戻すことって、大人になった自分とお守護さんとのつながりを強め、シールドみたいな〈お守護さん層〉を厚くすることになるように感じてます。
何にもしなくても、何も感じなくても守護し続けてくれるお守護さんですが、やっぱり存在に気づいて、感謝すると、喜んでもらえるし、繋がりが太く濃くなります。
一見さんで行く、有名神社よりも、住んでいる場所、住んでいた場所の神様は、なんともすんなりと、厚く歓迎してくださいます。
(大國魂神社は有名神社ですが。私が知らなかっただけ(^^;))
ところで、最後は神様に
『早く帰りなさい』
と促されて帰路につきました。
子どもの下校までに帰ろうと思っていたものの
「えー?まだそんな時間じゃないのにな?」
と不思議に思いました。
ところが道を間違えて最後は走って電車に乗り、
帰路の途中で帰宅した子どもからの電話があり、
促されたタイミングで帰っていなければ、いろいろアウトでした。
(帰ってきた時に私がいないと泣く子なのです…)
本当、神様って不思議。
私が道を間違えることも、子どもが予定より早く帰ってくることも、何もかもお見通しだったようです。
明日からの緑のきれいな連休、よかったら、あなたもゆかりの地を訪ねてみてくださいね(*^^*)
あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。
光子でした。