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不思議な話

スピリチュアルな人は偉大な人だった?

こんにちは!占い師の光子です。


先日妹から、こんなLINEが届きました。

スピリチュアルな人ってさぁ
少し前か、それ以前に生まれてたら
選ばれし者として重宝されてたのに
いまの時代は怪しい人認識されて大変だね
長い歴史で考えれば、スピリチュアルな人はずっと偉大な人だったんだよね多分


あなたはどう思いますか??
偉大な人だったんでしょうかね…そりゃ、卑弥呼とか偉大な人だったんでしょうけど…


対する私の返事は
「うーん…どうかな。」
で始まりました。続く返事は

陰陽寮の役人とか、僧侶、神社の神官っていうのは、身分のあるリスペクトされる存在だったけど、巷の祈祷師とか、イタコみたいな人とか、たくさんいたんだよ。

彼らは彼らで、市井の人からリスペクトされたり重宝がられてたけど、例えば沖縄のユタは、何かの時には呼ばれる存在であったと同時に、汚らわしい忌むべき存在の扱いも受けていて、ユタを呼んでくるのは、女の仕事で、家の主人が表立って頼るのは恥ずかしいことだったらしいよ。

要するに、今とそんなに変わらなかったんじゃないかなってこと。

(ユタの下りはWikipediaさん情報です)

と、こんなふうに私自身は思っています。


スピリチュアルって、微妙な世界だと思うのです。
まずスピリチュアル的能力、第六感などは、本来誰もが持っているものです。
直感的に危険や異変を察知したり、何かにひらめいたりという経験は誰もが持っているのではないかと思うのです。

さらにその中に、一部非常にスピリチュアルとか第六感が発達した人が存在している、というだけのことで、そんなに特別なことじゃないと思うのです。

そして一括りに「スピリチュアルな人」と言っても、良くも悪くも紙一重の世界です。

そもそも精神病との境界すら怪しくて、幻覚や幻聴と言われてもしかたがないんじゃないか、と私自身常に、自分の足元を確認しています。
さらには何と繋がるのか、というのも本当に紙一重なのです。

神様のような私たちがより幸せになるよう、後押ししてくださる方々と繋がるのか、それとも妖(あやかし)と繋がるのか。
目に見えないものと繋がることが出来ると言っても、何と繋がるのかで大違いです。


何と繋がるのかは、繋がる人自身にしかコントロールできません。
結界の張り方③ でも書いていますが、自分の内側を磨くことでしか、安全は保てないのです。
妖と繋がってでも、わからないはずのことがわかるようになりたい、というなら、きっと安全である必要はないですね。

でも私は10代の荒んだ頃に、嫌というほど
「目に見えないものと関わると危険!!!」
という経験をしたので、安全が保てない限り、繋がる力そのものがなくなって欲しいと思っていました。

占いの勉強を始め、占い師になって、とより深く入り込むうちに、戻れないくらい第六感やスピリチュアル的に開花してしまったので、さすがに今は自分のことを受け入れています。


スピリチュアル、怪しーい!って正直思っていますよ(^^;
けれど自分が受け取っていることや、自分の身に起こることをすべて否定するのも、とても傲慢に思うのです。

そして神様のふりをする妖ではなく、神様と繋がり続けるためには、礼儀を尽くし続けることも大切だと思っています。
繋がらせてもらうことは、当たり前じゃない。毎日の感謝と心からのリスペクトがあって、初めて繋がりを維持させてもらえるのではないかと。
だから、面識のない神様を、こちらから出向くことなしに呼び出すことはしません。

(面識があったって、基本的には呼び出したりしないですけどね。けれど自ら出向いて行って、きちんと名乗ると、どこにいてもサポートしてもらえるようにはなります。これは誰でもそうです!!でも時間が経つにつれて繋がりが細くなるから、定期的なお参りと、毎日感謝することがあるとベターです)


スピリチュアルな人って、偉大な人だったんでしょうか…?
自分を偉大だと勘違いした途端に、真っ逆さまに落ちるような世界、かもしれません。

私には私のできることをすることしかありませんが、あなたはどう思いますか?

(なんだかすっきりせずに終わっちゃった…)



あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。

光子でした。

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