こんにちは!占い師の光子です。
「自分が生まれてきた意義」という意味で、
『お役目』という言い方がありますね。
『お役目』というと、
「何か絶対的な存在から授けられたお役目」
という感じがあります。
自分の外側から授けられる人生の役目です。
私自身、『お役目』をそういうものだと長年思っていました。
私の生まれてきた意義があるのなら知りたい、
と思いましたし、生まれたきた意義を何かしらで知って、さっさとクリアして幸せになりたいと思っていました。
(前の私は、全然幸せじゃなかったんですよ)
でも最近自分の過去世が見えるようになったこと、
神様をはじめ見えない存在とのやり取りを通して、
「どうやらお役目というのは、
自分の内側にあるらしい」
と気がつきました。
内側にあるというのは、外側から
「これをやりなさい」
と仰せつかったのではなく、
「これをやりたい」
というのを、すでに自分が持っていて、それこそがお役目だということです。
『お役目』とは、魂が望んでいること。
魂が「これがしたい」と望んでいることが
お役目なのです。
魂が望んでいることって、本来的にはあなた自身が望んでいることと同義だと思うのです。
でも大人の事情・大人の思考で、見失ってしまうものでもあると思うのです。
というのも、今世は過去世にできなかったこと、
やり遂げたかったことをやり遂げるための環境(など)が用意されています。
でも結局それを活かすかどうか、やるかやらないかは自分に委ねられていて、選択権は自分にあります。
とはいえ、魂が望んでいることとは、別の方へ「行こう、行こう」としていると強制が入るようです。 選択権はあるものの、進もうとする道と魂がずれていると、ものごとがうまくいかないなどの方向付けをされるようです。
例えば、私のように病気になって、魂が望むことをやるための環境に移動させられるなどです。
もう少し具体的に言うと、私は過去世で
「子どもたちを大きくなるまで自分育てたかった」
「この人と結ばれたかった」
「目に見えないものと繋がりやすい力を、
世のため人のために活かしたかった」
こんな未練を残してきたようなんですね。
そして今、育てたかった子どもたちを育てていて、
結ばれたくても何度も叶わなかった人と出会っています。
更には占い鑑定の場で繋がりやすさを活用したり、
こうしてブログで、私が得た目に見えない世界のことをお伝えできています。
要するに、未練を果たすための環境は、すでに用意されていて、やり残したことにチャレンジできる土台はできているのです。
でもそれはイコール、私が先々
「成人するまで子どもを育てられる保証」でも、
「彼と結ばれる保証」でもなく、ただ環境があるだけです。
魂の未練=『お役目』を果たせるかどうかは、
自分自身が果たすことを選び、望んで、
実際に行動するかどうかなのです。
やってもいいし、やらなくてもいい。
でもやらないならやらないで強制が入るし、
体と魂が別々になって、魂の故郷に帰った時に、
「もー何やってんのー!!何のためにわざわざ地球に行ってきたのよー!!」
と思う(かもしれない)のも自分です。
つまるところは、
「やりたいことやったほうがいいよ!」
ですね。
そして、本題とも言える、どうやって自分の中にあるお役目を見つけるか?についてなのですが、
ひとつ言えるのは、感情的に「怖い」とか抵抗をすごく感じることほど、逆に魂が望んでいることのように思います。
抵抗は感じるけれど、心はずっとそこにある、みたいなことです。
私も占いやスピリチュアルを避けていたのは、
怖かったからです。
「これに近づいたらあかん!!」
と理由はないけど恐ろしい、
だけど気になると思っていました。
それから、子どもの時に無性に好きだったこと、
やっていることが苦にならないことも、
自分が求めていることの可能性が高いです。
子どもの時って、大人の世界の
「あれやっちゃだめ、これもだめ」
から自由な状態ですよね。
自分の本来の欲求に最も近い状態です。
そこからいろんな経験をして、
傷つくこともあって、だんだん本来の欲求を見失っていくわけですが…
そんなピュアな状態、魂の故郷からやってきて、
まだ時間が経っていない時に無性に好きなことは、
そのままその人の本来の欲求に近いようです。
苦にならないで言えば、
「これなら何時間でもできる」
「これをやっている時が、
最も自分らしい/生きてるー!と感じる」
そんなことが言えると思います。
『お役目』は自分の内側にある。
これは、先生から出された課題をこなし、
課せられた仕事を全うする、
そんな生き方を長らくしてきた現代人には、
違和感があるかもしれません。
今までやってきたやり方と同じように、
『お役目』は自分の外側にある、と考える方が、
現代人にとっては自然なことですね。
でもどうやら『お役目』は、
あなたの中にあって、やるかどうかはあなたが決めることのようです。
そしてまずは、自分が本当に望んでいることが何であったか、思い出す・見つけるところから始める必要があります。
私たちは社会をまわす駒ではないのと同じように、
神様や大いなる存在の意思を実行するための駒ではないのです。
『お役目』はあなたのためにあって、
けれども『お役目』を果たすことが、
結果的に誰かのためになるように、
自ずとマッチするようにできているようです。
だからあなたが『お役目』を果たすことが、
誰かのために、誰かの喜びになって、
結果的にこの世界を司る大いなる何かにとっても
喜ばしいことなのでしょう。
あなたが心から笑えること、あなたが本当に嬉しいこと・好きなことは何ですか?
きっとそこに、あなたの『お役目』があります。
あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。
光子でした。