こんにちは!占い師の光子です。
今日は1年で1番昼が長い日、夏至の日でしたね。
(もう日は暮れちゃったけどね)
冬至の反対、陰陽の考え方では「陽の気が最も強まる」のが今日でした。
洋の東西を問わず、冬至の日・夏至の日は古代から大切にされてきたようで、ストーンヘンジなども、冬至・夏至の【日の出】や【日の入り】とぴったり合う形で作られているそうです。
日本でも神社の鳥居の向いている方向、所在の位置関係など、冬至・夏至の【日の出】や【日の入り】に合わせて作られているそうです。
日本の一宮になっている神社の多くは、古代祭祀の場。
そしてストーンヘンジも、不明なことは多いものの、恐らく古代祭祀の場だったのでしょう。
古代の人々が、とても大切にしてきたのが、『夏至の日』でした。
もちろん四柱推命でも、西洋占星術でも、
冬至と夏至、そして春分の日・秋分の日もとても大切な日です。
元々は両者ともバビロニアの暦から来ているので、大元の元は同じです。
(だから似たような考え方がたくさんあります)
なんてことを全く知らなかった子どもの頃から、
『冬至』『春分』『夏至』『秋分』
が、私は大好きでした。
理由は…
たぶん、ロマンを感じるから、かな??
なんだか特別な日のような気がしていたのです。
今でもなんだか特別さを感じます。
そして特に夏至の日は、特別なだけでなく、一抹のさみしさを感じます。
晩夏のような「今年もまた行ってしまう…」という気持ちです。
今日を境に、昼はまたどんどん短くなる…。
なんだかさみしく感じませんか?
そんな今日、実は明け方に目が覚めました。
まだ暗い外を眺めながら、
「夏至の日が始まるんだな」
とぼーっとしていました。
今日を境に、また昼が短くなるなんてさみしいな、と思っていたら
「また来年があるじゃない!」
と思ったんです。
(というか会話してた感じかな。)
すると、
「そうか、また来年があるね!そうやって、昔の人からずーっと毎年毎年積み重ねてきたんだね」
とノスタルジックにロマンを感じていたら、突然
「って過ごしているうちに、またすぐ死んじゃうよ」
と湧いてきたのです。
寝ぼけの半覚醒状態だったので、少々普通じゃなかったのですが…
「またすぐ死んじゃう」
この言葉に驚きました。
そして同時に、
「そうだよ、生きてる方が普通じゃないんだよ」
と思い出しました。
『〇年で生まれ変わる』みたいに言われていることもありますが、私はこの辺りはよくわかりません。
でも霊体の状態でいる方が、普通なんだろうな、ということは日々感じます。
だから体調が悪い日が続いていると
「あぁ、体を脱ぎ捨てたいっ!!」
と実は思います。
これ、死にたいってわけじゃないんです。
体があるのが煩わしいんですよ。
でもね、同時に思うんです。
体がないと、体がある人に仲介してもらわないと、何も伝えられない。
そして、天気を操作することは簡単でも、思い通りに人を操ることはできない。
これ、何のことを言っているかというと、
神様です。
本当はね、神様は誰にでも話しかけているんです。
でも気がつかない人があまりにも多い。
特に現代人は気づかないのではないかと思います。
例えば、このエピソード。
「神様にはそれくらい楽勝っしょ?!」
って思いましたが、全力で叫んでても、かしましガールズには聞こえないんですよ。
お天気の操作は簡単みたいですけどね。
雲の形を龍にしたり、御眷属にしたり、雨を降らせたり止ませたり。
日を差し込ませることもできます。
実は、まだ元気だった頃、勤務先の体育祭の最中に雨がぱらつき始めたので、全力で祈っていた時がありました。
「あと3時間は待ってください!!」
ってお願いしたんです。
誰も私がそんなことをしてたことは知らないけど、お天気は持ち直しました。
※余談ですが、よかれと思って雨を降らせてる神様、絶対いますw
雨女・雨男ってそういう神様に好かれてる人なんだろうな、と密かに思います。雨が降るって、昔なら本当に大切なことでしたしね!
などなど、神様の得意なことと苦手なことを、日々目の当たりにしていると、
「本当の本当に、体のある今を大切にしなくちゃ」
と思うのです。
神様は本当にすごい。
けど、体があるってことは別の意味で特別なこと。
「脱ぎ捨てたいなんて思わずに、ちゃんと私が生きていた証を、体を持っていた時間の証を残さなきゃ…残そう。」
と今日の夏至の日に思ったのでした。
あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。
光子でした。