こんにちは!神様とご縁を繋ぐ 光子です。
夢の話なのですが、先日、夢の中で妊娠していました。
今の、子どもが二人いてシングルマザーの状態で妊娠していて、
「さて、誰の子だろう?」
で始まります。
身に覚えがあるだろう、と夢の中で記憶をたどると
「あー、あの人か。あの人しかおらんわ」
と(夢の中の)在りし日を思い出します。
そしてその相手に、
「妊娠したんだけど」
と話しに行くんですね。
話しに行った人=お腹の中の子のパパは実在する人でして、大人になってから友達になった人でした。
友達としてそれなりに仲良しで、好きではないけど身体的に距離が近くても、不快ではない人で、しかも子どもたちも懐いていた、という人で、今考えると
「そんな好条件がそろった人、あんまりいないよね?」
と思います。
というのも、身体的に距離が近いことに不快感を感じない人は、女性にとっては10人に1人くらいらしい…(何で読んだっけ)
しかも子どもたちも懐いてるのは、結構すごい。
その彼に、お腹の中の子のパパはこの人だろうと話に行くので、結構リアルな夢だったのです。
この彼と、過去に実生活でキスしたことがあるのですが、それは好きだから、ではなくですね…
どうしてしたかを書く前に、前提として、私は結構、自分が考えていることが必ずしも正しいとは限らないと思うタイプで、とりあえずやってみるとか、試してみるというのが、ままあります。
だからこそ、アホと言われたり、危なっかしいと言われることが多いのだろうと思うのですが、あんまり学習しないまま大人になりました。
この彼に過去に、露骨に割り切った大人の関係を提案されたことがありました。
露骨なのも、いかがなものだけどさ…
本当は下心たっぷりで大人な関係を狙っているのに、紳士のふりをしてさもそんな気はないように近づいてくる人たちの方が、個人的にはよっぽど嫌悪感を感じます。
やってることは同じだけど、単刀直入な分、さっぱりしてて好感が持てる、みたいな感じです。
もちのろん、お断りしたのですが、(そういうのは全部断ります)諦めずに食い下がってくるので、
「そんなに言うなら、キスだけしてみようかな?」
ということで、してみたんですね。
身体的に近くても、むしろ接してても、嫌じゃなかったのも決め手でした。
(誰でもはしません!!)
とはいえ、たぶんその時の私の中には
「失礼だなぁ」
というマイナス感情もあったのでしょう。
事後に反射的に言ってしまったのは、
「キスは味見だから、あなたとはセックスしない」
という言葉でした。
その後、別れるまでの数十分間、彼はどんな気持ちだったんだろう…
反射的に超ひどいことを言ってしまったことは、申し訳なかったと思います。
ということがありましたので、夢の中の出来事は、私にとって非常に意外性がありました。
「あんなことがあったのに、結局そういうことになったの?!」
という感じです。
とはいえ、「妊娠した」と話しに行き、彼と話し始めるのですが、そのうちに
「そういえば、この人から更に1カ月半くらい前に、元夫といたしちゃったぞ?(これも夢の設定)」
と思い出してしまって、
「はりゃりゃ…どっちの子だろう…」
と内心アワアワしている夢でした。
アワアワしてるのは、顔に出ますよね(^^;)
夢の中で彼は、釈然としない様子で、そして突然、
「誰かに本気で焦がれたことはあるか?」
と私に問うのです。
なんで急に口調変わったの?とびっくりしつつ、夢の中の私も、夢を見ていた私も、彼のこの言葉にハッとしました。
実生活で彼との間であったことも踏まえると、彼にこう言われることの重みは尋常じゃない。
しばしの沈黙の後、
「…それは行為とは別に、ということだよね?」
とお返事していました。
行為、という言い方をしましたが、刹那的に気持ちが盛り上がるとか、衝動的な熱狂(があったから、たぶんこの人と子どもができている、と夢の中で解釈していました)のことではなくて、永続的に、誰かのことが本気で、好きで好きで好きで好きでたまらない!!!という経験をしたことがあるか、と問うているのだよね、という確認でした。
彼はうなずいて、そして私は焦がれる経験があったかどうか、ものすごく一生懸命に考えていました。
一生懸命だったのは、見つからなかったから。
焦がれるほど誰かを好き、と言う経験を、自分の中に見つけられなかったのです。
言葉に出す直前まで、考えて、考えていましたが、結局
「…ない、ね…」
とお返事します。
そこでなぜか、元夫が隣に座っていて、(3人でコの字型に座ってました)
「それはさ、光子ちゃんが、〇〇で△△だからでしょ」
と、私のもやもやした気持ちを、解釈していました。
この人は、本当にこういうのが得意で(^^;)
本領発揮ですな、と思いつつも、彼の解説を聞きながら
「彼(元夫)のことも愛していなかったと、この人は気づいていたんだな」
と、心がうすら寒くなりました。
うすら寒くなったのは、私が誰に対しても、ものすごく深い感情を持てないでいるのではないかと、気づかされたからもあったでしょう。
例えば恋愛の場で、二人だけの関係の間はいいのですが、彼のことが好きそうな子が登場すると、気持ちがすっと冷めるのです。
彼のことが好きそうな子、しかも彼も悪い気はしていなさそうだなと感じると、
「私を選んで!私を好きでいて!」
とは思えなくて、
「だっる。そっち行けば?」
と思ってしまうんですね。
元夫にも付き合っている時に、
「ねぇ、最近〇〇ちゃんの話、よくするよね。好きなの?ならそっち行けば?」
と言ったことがありました。
すごく執着したり、愛を欲することができなくて、そういう意味でも、焦がれる経験をしたことがないのです。
そもそも、私に興味がなさそうな人に、惹かれることもないので、その意味でも、焦がれるという経験がありません。
私がうすら寒くなったのは、この冷たさ(とあえて言う)を、私は子どもに対していも持っているのでないかと、気づかされたのもありました。
子どもに対しては、とても可愛いとは思っているものの、お腹にいる時から
「私の赤ちゃん」
と思ったことは一度もなくて、
「子どもは預かりもの」
だと思って育てています。
それは、人生の一時期私のところにいて、幸せな子・幸せな大人になれるように、預かって育てているだけ、という思考です。
本質的に私のものではないし、本人の人生は本人のものだし、もし子どもたちを所有している存在があるのだとしたら、少なくとも所有しているのは人ではなく、神様でしょう。
そういう意識でいるので、「愛」という意味では希薄なのかもしれません。
そもそも「生きている」ということにしたって、
「霊体である方が普通で、体がある状態の方がレア」
だと思っているので、体があって生きていることへの執着は、一般的な感覚よりも、薄いと言えます。
そういう私が、誰かに本気で焦がれたり、本気で誰かを愛したり。
それは結構難しい感じがしませんか?
何の問題もない時に見た夢だったら、
「変な夢みたー」
で終わりだったかもしれないのですが、現実の実生活の私は、子どもことで今悩みがあります。
というのも、小学校4年生の娘が、学校に行くことが難しくなってしまったのです。
この1ヶ月、毎朝登校に付き合っていたのですが、
「学校に行きたくない」
という気持ちが、体に出てしまう状態からは改善したものの、本人の気持ちと、先生方の熱意にギャップがあって、少々こじれてしまった感があります。
学校以外の場面では、以前より明るくなって、元気に普通にしています。
けれど、私の知らないところで、クラスに戻るよう促す先生とバトル、もしくは自傷でストレスを抑えようとするということを繰り返してきたようで、たまたま時間があって、クラスに入るのに付き添った時に、そんな彼女を目の当たりにしてしまいました。
そんな辛そうな彼女を目の当たりにする少し前に、近所の神社に出かけまして、お祈りをしたのですが、その時に神様がこんな姿を見せてくれました。
(以下、神様とのやりとりです)
『(娘ちゃんは)大丈夫なのか?』
「あ、…今日は、夏休みにがんばった課題で、表彰していただきました。ありがとうございました」(表彰式がありました。学校行けないけど、こっちは行けました)
『励みになるな』
と神様。
すると突然、ビジョンとして、鳥のひなのような、黒っぽくて丸い、くちゃっとしたものが、がんばって羽を広げようと、うまく広がらない羽を広げて、羽ばたこうとしている姿を見せてくれました。
その、黒くてくちゃっとしたものは、これまでに散々、散々傷つけられてきて、ボロボロになっているけれど、それでも一生懸命に、羽を広げようとしていました。
それを見ていると同時に、深い悲しみが伝わってきたのです。そして、
「そうか、娘はこういう状態なのか」
と、初めてわかった気がしました。
今、羽を広げようとしている、黒いものに、
「いいかげん羽を広げなさい」とか
「飛べるでしょ、早く広げて飛びなさい」
と言ったところで、飛べるようになるわけもありません。
むしろ、なんとか広げようとしていた羽さえ、広げられなくなってしまうでしょう。
そんなことを思うと、これ以上娘に無理に負荷をかけることは、開こうとしている羽を、開かせないことになるだろうと思ったのです。
そして
「ここまでできるなら、クラスにも入れるよね?」
という促しは、今の彼女にとって、時期尚早ではないかと思うようになりました。
という神社での出来事を受けて、ある意味では諦めの境地に、言い方を変えれば
「ゆっくりペースで行きましょう」
と、私個人は納得していたのですが、それについて先生方にうまく話すことができず。
(娘の状態を知った経緯が経緯なので…)
「ゆっくりで行ってほしいんだけどな」
と思いつつも、私の知らないところでは、先生とのバトルや、自傷行為をしていることを知って、
「このままで本当にいいのかな?」
思うようになりました。
さらには付き添った日に、歯形がつくほど自分の指を噛みしめる彼女を実際に見て
「もう、学校行かなくてもいいんじゃない?」
と私の中で、何かがポキッと折れました。
だって、家ではそんなこと、全くしないのに…そんなの普通じゃない…。
毎朝登校に付き添っていたのは、
「学校に行きたい気持ちがあるし、休んだらもう行けなくなりそうだから、学校がある日は行きたい」
という本人の意向でした。でも、
「もう、何が正解かわからない…疲れちゃったよ…」
と私ががんばれなくなってしまって…。
「どうしたらいいか、何が正解かわかりません。しばらく休ませることも視野に入れています」
と悩んだ挙句、学校にSOSを出し、教頭先生と面談の機会を作ってもらいました。
面談では、うーん、学校と共通認識もあり、私の知らなかった新情報もあり…
一口縄では言えないのですが、ひとまず娘の学校との関わり方としては、オンライン授業でクラス参加することになりました。
本人が希望しない限り、学校には行かずに家でオンラインでいいということになったのですが、この1ヶ月、外での体育の授業など、外での授業にしか、参加できずにいたので、授業に参加できるという意味ではプラスでもあります。
オンライン初日に本人が言っていたのは、
「すっごく疲れたけど、よかった」
という一言でした。
「もう社会何やってるかわからない」
と言っているくらいだったので、授業に関われないことは、本人の中で苦しい気持ちもあったようなのです。
悩みつつ、苦しみつつも
「クラスに入りたい気持ちはあるのに、怖くてどうしても入れない。でも入りたい、悔しい」
と言っていた彼女だったので、本人への負荷が少ない状態で、学ぶ権利が保障されることは、本当にありがたいことでした。
娘がオンライン授業で落ち着くまでの経緯はさておき、この間、私はずっと
「私はこの子をちゃんと愛せているのだろうか?愛してる、あなたが大切と、ちゃんと伝えられているのだろうか?」
と深く悩んでいました。
きっかけは、妊娠した夢を見て、ハッとする一言を聞いたことでしたが、その後
「どうして私は、愛を求められないの?私を愛して私を見て!と強く執着できないんだろう…」
と自分の来し方について、柄にもなく悩んでいました。
悩みながらも見つけたのは、
「愛を求めたかったのに求められなかったのは、母との関係かもしれない」
という親子関係に起因するのではないか、ということです。
抱きしめてほしい、よその子より私を大切にしてほしい、外で私のことを悪く言わないでほしい(過度な謙遜は子どもはしんどい)、そういう気持ちが幼少期にあったのに、一切出せずに来ました。
それは、出していいのか、出すならどう出したらいいのかが、わからなかったからではないかと思います。
これらの私が嫌だったことは、自分の娘と息子には、しないように気をつけてきましたが、それは私が癒される行為ではなく、子どもたちに対するマナーです。
そこに感情が伴っていたわけではなく
「これされて嫌だったから、私はやらない」
という至って冷静な行動で、感情的には希薄でも、こう行動するというだけの行動規範でした。
さらには、
「私、お母さんにもっと愛して欲しかったんだ」
と気づいたことで、一番求めたかった愛を求めることができなかったから、恋愛の場面でも同じように、焦がれるような想いを持てないのではないか、と見つけました。
そして
「お母さんに愛してほしかったけど、出来なかった」
のと同様に
「どう愛したらいいの?どうしたら愛していることになるの?」
というのが、私の中の大きな壁で、だからこそ恋愛の場面はもちろん、子どもたちに対しても、どうしたらいいのかがわからないのではないか、と気づいたのです。
今年の初めに神様から
『恋愛以外はよくやっているわ』
というお言葉があったことで、例年にはなく恋愛を意識して11ヶ月を過ごしてきたのですが、ここに来て
「あ、男女間だけのことを言っていたのではなく、もっと深くて広いことを示されていたのか」
と、気づかされました。
そもそもの愛のこと、そこに大きな齟齬というか、欠落というかがあるのを、なんとなくそのままにしてきてしまったことを、立ち返って見てみなさい、ということを含んでいたのだろうということです。
そしてこの欠落は、間違いなく世代間連鎖で、母も同じことで悩んできたように思います。
本好きの母でしたが、それにしても母の本棚には子育ての本が多い。
「どう愛したらいいかわからない」
というのが、母の本棚から見てとれるようだと、10代の頃から感じていました。
そして祖母もおそらく同様に。
「昔は抱き癖がつくっていうから、あんまり抱っこしなかった」
とも言ってたので、母も抱いてもらえず、そして祖母も曾祖母との関係で、苦しんでいたのを子どもながらに見ました。
「この連鎖を、私も娘に受け継ぐのか?」
という、とても大事な境目で、今回の出来事はきっと起きて、そして気づいたことで軌道修正がかけられるつつあるように思います。
とは言え、修正がかけられつつあるのは、今現在のことで、悩んでいた時系列の間では、深く、深く、落ち込みながらも悩んでいました。
長くなったので、落ち込みからの回復は、次回書きますね!
あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。
光子でした。
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