こんにちは!占い師の光子です。
ものすごく久しぶりに、映画館で映画を観てきました。
是枝監督の『怪物』の予告編を見て、
「これは絶対見に行くやつ!!」
と行ってまいりました。
今回は『怪物』のことを書きます。
ネタバレしちゃうところもあるので、
「これから見るよ!」
という方は、スルー推奨です。
(何も知らないで見た方が、楽しめますよ!)
結論から言うと、
「映画を観ているというより、コンセプチュアルアートを観ているみたいだった」
というのが、私の感じたことです。
構成が絶妙で、まず予告編を見てほしいんです!
「え?どうなっちゃったの?子どもたちは?怪物は誰なの?」
と思ってしまいませんか?
とても煽られるというか。
でも、ここで見る側がそう思ってしまうことに、意味があるんです。
本編が始まると、最初は母親(安藤サクラ)の視点で、物語が進みます。
子どもが学校でどんな目にあっているのか?
大丈夫なんだろうか?
ととっても不安になる視点です。
見ている時、
「怪物は誰なんだろうか?」
と一種の推理小説のような、怪物探しの視点で見てしまいます。
予告編で見た内容に、完全に引きずられた視点で、見ていました。
あるところまで進むと、突然、時間が戻って、視点が変わります。
担任の先生(永山瑛太)の視点で、母親の物語と同じ時間軸で進んでいきます。
そこで、
「あれ?真実は違ったの?」
と思わされるんですね。
予告編に引きずられて見ていた、母親の物語の見方は、非常に偏った見方だったのかもしれない、と気づかされるのです。
視点は再度変わって、子どもの視点の物語も。
そこで、実際には何が起きていたのか、真実の全容が見えてきます。
視点が次々に変わって全容が見えてくる、という進み方が、一人の人間としての偏った見方から、全体を俯瞰して見ている神の視点に移っていくような、不思議さと心地よさがあります。
ところで、映画というよりアートみたいだ、ということだけでなく、
「予告編まで含めて、作品なんだな」
と、今回初めて思いました。
というのも、私たちはいつも、バイアスのかかった偏った見方でしか、物事を見ることができません。
その、バイアスのかかった状態を、予告編を見た段階で、作られてしまったのです。
『見方を操作する』という大きな仕事を、予告編がしているのです。
偏った見方で見ているから、怪物がどこかにいるような気がしているけれど、俯瞰の視点で見ると、怪物はどこにもいなかった。
そんな私たちの物の見方の危うさを、突かれているようでした。
途中で出てくる、折り紙で折った
「これは帽子?これは船?」
と思わせる造形物のシーン。
このシーンの存在が、私たちに見え方の危うさに気づかせる、ヒントのような役割をしてくれています。
人間はどうしたって、自分の視点から逃れることはできないし、自分に与えられた情報から、物事を判断することしかできません。
その危うさを示してくれるのが、『怪物』でした。
ところで観た後に、
「私がやっているカードの鑑定も、これと同じことだな」
と思ったのです。
私がやっているのは、たぶん普通の占いと違って、
「今自分に起きていることを、俯瞰して見る」
というセッションです。
俯瞰して見ることで、逃れられない自分の視点から、自由になれる。
全体を見ることで、どうしたらいいか自分で考えられるようになる。
それが、私のやっていることです。
(もちろんアドバイスのカードもあるので、どうしたらいいかの具体的なお話もします。その上で、ご自身でどう進むか考えていただく、というセッションです。決めるのは自分!)
出てくるシーンすべてに必然性があって、そして編集もとても面白かったです。
「このエピソード、なんの意味があるんだろう?」
と感じるエピソードも、特殊な構成の物語の中で、
「あ、あの時点に戻ったことを教えてくれているのか」
と時間軸の変化を示す、とても大切な役割をしていました。
編集でも「全く同じ映像だけれども、始まりと終わりの切り取るところを変える」という編集が何度もなされていて、デジャブ感のような、でも新たな視点のような、奇妙な面白さがありました。
もう一回観たい!!
あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。
光子でした。