こんにちは!占い師の光子です。
共依存ってこんな感じでした その7 のつづきです。
その1 はこちら
前回まで、私の共依存の体験を書きました。
共依存の関係に陥ってしまう人は、概して自己肯定感が低い人でしょう。
自己肯定感が低いというのは、自分で自分に〇をあげられる根拠を、自分の外側や、自分の能力、自分の持っている物にしか、持てていない状態です。
本当の自己肯定感とは、
「何者でもない、何もできない自分でもいいんだ。自分には価値があるんだ」
と思えることを言います。
共依存に陥って、共犯者になってしまう人は、自分に〇をあげられる根拠を、外に求めている状態でしょう。
私のように、天才のサポートをする自分として、
自分の存在価値を上げるというケースだけでなく、
「彼に愛される私じゃなきゃダメなの!!!」
というのも、共依存に陥りやすくなるとっても危ない考えです。
たとえ彼が愛してくれなくても、
あなたは、あなただから素敵なんですよ。
彼が愛してくれなくても、
天才のサポートをしていなくても、
ありのままのあなたを、みんな愛しています。
あなたが気づいていなくても、愛されています。
それこそ、神様やご先祖様などをを含めたら、
本当に数えきれないくらいたくさんの存在から、
あなたは愛されています。
何もしなくても、
何もできなくても本当は愛されているけれど、
自分に〇をあげるには根拠が必要というのは、
あなただけがあなたを愛せていない状態です。
共依存から抜け出すには、
「共依存の相手の問題は、自分の問題ではない」
と区別して考えられるようになることと、
他の方法で自己肯定感をあげることが必要です。
他の方法で自己肯定感をあげるとは、
一言で言えば、自分に愛を注ぐことです。
・自分の欲求を聞いてあげる
・自分を大切にする
(誰かのために自分を犠牲にしない)
・やりたいことをやらせてあげる
・休みたい時は休ませてあげる
などなど、方法はたくさんあります。
他の人と関わって生きている私たちには、
いつもいつも自分が最も嬉しいことを
させてあげるのは、簡単なことではありませんね。
それでも、ひとつだけでも、
ひとつからでも、今日からできることがあるはずです。
「あ、あれ食べたいな」
と思ったものを、食べさせてあげるところから始めてもいいのです。
共依存を象徴する、あげる人ともらう人がいる、
対等ではない関係が描かれているのは、
ペンタクルの6です。
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対して、カップの2には対等な関係が描かれています。
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本来、私たちが欲しい人間関係は、こちらではないですか?
二人の間から出ているカドゥケウスも、
お互いに対等で、双方に恵みのある、バランスのとれた交渉や関係性を象徴しています。
この二人は利害関係ではなく、真心で結ばれているように見えますね。
カップを差し出すことに、お互いに何の利益もないけれど、真心から相手と向き合っているように見えます。
ペンタクルの6の状態から始まった関係が、
カップの2に至るのは、とても難しそうに思えませんか?
お互いに相手の人間性を認め合って、
相手の幸せを心から願うのではなく、
「この人といるとこういう利益がある」
という打算があって、一緒にいる相手からは、
同じように打算的に見られても仕方ないかもしれません。
なぜなら、二人でいても心の内には、
「こういう利益がある」
と自分の利益を考えて、想いのベクトルは自分を向いているからです。
共依存のまま、お互いに幸せになることはありません。
共依存の末にたどり着くのは、破局か、
異常な関係性という、何かしらの崩壊です。
私と元夫も、付き合い始めた当初は
「この人以上にしっくりくる人はいない」
とお互いに思っていましたが、
異常な関係性になり、そして破局しています。
自分の足りないものを埋めるために、
パートナーといるのではなく、
お互いが自立した大人で、お互いを認め合い、
その上でこの人と一緒にいたいと思えること。
そのためには、自分で自分を愛せる、自己肯定感の高い大人になること。
それが、カップの2のような人間関係を築くのに、必要なことです。
そして何をするにも、真心からすることに勝るものはないと、今の私は信じています。
長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。
あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。
光子でした。
関連する記事→自分に愛を注ぐって何だろう?
おまけ
脱線するので、本文中で書けなかったのですが、
心が折れて適応障害になっていた時の私は、
カサンドラ症候群でした。
カサンドラ症候群とは、
発達障害の人のサポートをする人が、
発達障害の人のやらかすことに対処し続け、
そして会話が成り立たないことに疲れ切り、
心や体の病気になること言います。
世の中には、何度もカサンドラ症候群になりながらも、見放さないで一緒に居続ける奇特な人もいます。
発達障害の人を排除することは、決して良いことではありません。
でも発達障害の人の離婚率が高いことも事実です。
私も離婚直後は、発達障害に関連することを目にするのも嫌でした。
発達障害ないし、様々なハンディキャップを抱えた人を、たったひとり、または数名でサポートするのは無理があります。
世の中が進んで、誰もが暮らしやすく、自分であることを偽らずに生きられる世の中になることを、切に望みます。