こんにちは!占い師の光子です。
節分を前に先日、父と大宮氷川神社に行ってきました。
父は、自分の母は「千里眼」と呼ばれていた人(私から見たら祖母です)、自分の娘は私(光子)にも関わらず、
「不思議なことは全くわからない、神社でも何も感じない」
という人です。
そんな父が、
「どうやら最近、不思議なことがちょっとわかるようになってきたんじゃない??」
と感じる出来事がありました。
始まりは、お正月明けに、
「YouTubeで、合気道のすごい人の内弟子だった人が、印の結び方を紹介していた」
と父が話していました。
でも自分でやってみても、何がすごいのかがわからないので
「光子なら何かわかるかと思って」
と私にやってみるよう言うのです。
その印を結ぶと、何かすごいらしい。紹介していた方も、
「今はわからなくても、ずっとやっていると何十年後かにわかります」
と秘伝の印について紹介していたそうなのです。
ご自身も歳だから、ということで、YouTubeに残していたそう。
(私は見ていませんm(_ _)m)
実際にやってみると、
「ん?頭のてっぺんがムズムズする」
と、これはどうやら何かありそう。
これはきちんと姿勢を正して座ってみようと、座禅を組む時のような、腰から頭のてっぺんまで一直線に伸びるように座り直して、やってみました。
すると…
頭のてっぺんに向かって、キラキラが真っ直ぐにおりてきます。
神様や神社のキラキラにそっくりの、キラキラが。
頭のてっぺんより上に、天と繋がるまっすぐな道ができたようになって、真っ直ぐにキラキラが降り注いでくるのです。
これは、やっていると自分が浄化されるのはもちろんのこと、集中力も高まりそう。
そのように父に話したのですが、父はわからないそうでした。
それでも、しばらく毎日続けていたそうです。
ある日、うちに来た時にもやっていて、やりながら
「これやってると、周りにも何か変化はあるの?」
と言うので、
「周りの空気がピリッとするよ。お父さんを中心に、空間が浄化されてる感じ」
と、私の感じたままを話しました。
けれど、話していると、空気の張りつめた清さのようなものは、なくなってしまいます。
たぶん、印を結んでいる本人と、天との間のことなので、そこに会話という形で第三者が入り込むと、成立しないのでしょう。
そしてふと、
「光の通り道に当たる場所には、何が起こっているんだろう?」
と好奇心が湧いて、父の頭頂部の上の空間に、手を差し入れてみました。
すると、手が、ビリビリビリーーー!!!
他の空間に手をやってみても、全く何も起こらないのに、明らかに印を結んでいる人の頭の上だけは、すごいエネルギーが通っていました。
感じとしては…静電気かな?
見えないのに、バチッと痛いあの感じです。
(痛くはなかったですけどね!)
それからしばらくして、父が
「頭頂部のどのあたりに感じるの?」
と聞きます。
「ここだよ。ここ。」
と私の頭と、父の頭ならここと、触って伝えます。
すると父が、
「あぁ、お経唱えている時も、そこに何か感じるよ」
………?!
それって、わかってるってことじゃない???
私も神棚の前で祝詞を上げている時、同じところが開いているので(頭頂部のチャクラです)、読経で同じことが起こるのは、全然不思議なことではありません。
何も感じない、わからないと言っていたものの、意識していくうちに、変わってきたような??
そして後日、父と【武蔵国一宮 大宮氷川神社】に行きました。
単純に、私の体調はまだ万全でないものの、節分前には行っておきたいというワガママに、父は付き合ってくれたのです。
東京生まれ、東京育ちなのに、父は生まれて始めて行ったそう。
参道を歩きながら
「これは…すごい神社だね。こんなに広い参道が作れるなんて」
と感心しきりです。
私はいつも、摂末社すべてにお参りするのですが、父はそういう人ではありません。
けれど、せっかく来たのだからと
「帽子はとったほうがいいよ!せっかくだから、一緒にお参りしようよ!」
と私のいつものコースに付き合ってもらいました。
まずは手を清めて、門客人神社さんと、御嶽神社にお参りして、本殿&拝殿の前でお祈りです。
拝殿の広さに、父はまたまたびっくり。
「私が子どもの時、出雲大社行ったじゃん」
と笑って話しつつも、そんなに昔のことは忘れてしまったそう(^^)
私は昨年の感謝と新しい年を迎えられたことを神様に感謝しつつ、
「今日は父と来ました」
と一言添えました。
すると、神様は父が一緒に来たことを、
『(待ってたよ感のある、優しい感じで)やっと来たか』
と喜んでいらっしゃいました。
「なんか、神様お父さんが来たこと、喜んでたよ、待ってたよ、みたいな」
なんて話しつつ、蛇の池にもご挨拶。
蛇の池に差し掛かったところで父が
「すごい神聖な寒さを感じる場所だね」
と言います。
ここでは話をしたらいけないような、特別感を。
「おお、お父さんわかってるじゃん!!」
と感じつつ、後にします。
ところで、私はいつも、神様の気が一段弱くなるところで、振り返って、神様に頭を下げます。
そういう場所は必ずしも、鳥居や階段のところにあるわけではなく、参道の途中や階段の途中にも、そういう場所があります。
一つの神社に、そういう場所が何か所かあるのが普通です。
これを「神域から出る」と呼んでいるのですが、神域から出るたびに、だんだんと俗に戻っていくように感じます。
(ずっと神域にいたいのが本音)
この時にも無意識に、振り返って頭を下げてしまったので、父に
「ここで、神様の気がぐっと弱くなるから、こういう場所でいつも振り返ってご挨拶するんだ」
と補足説明しました。
父はその時は
「ふーん」
という感じだったのですが、しばらく歩くと
「確かに、何かが段々弱くなっていく感じがするよ」
と言います。
父、完全にわかってるよね???
宗像神社や松尾神社、お稲荷さんや天津社、六社を拝んで、別れ惜しくも帰路につきます。
参道を歩いていくうちに
「段々俗に還るね」
と父。
…神社で何も感じないんじゃなかったの??
私としては父の変化は願ったり叶ったりです。
今でこそ理解してくれていますが、
「母は不思議なことをわかってくれてるけど、父は理解がない」
というのも、若い頃は苦しかった一因だったので、父の変化は、私にとって驚きでもあり、嬉しくもありました。
父が望んでそんな変化が起きたのか、どの程度感じ取っているのかはわかりませんが、
「何も感じない!」
と豪語していた父でも、これほどわかるようになるらしい…
これは、誰にでも不思議なことがわかるようになる可能性がある、ということで、良いのではないでしょうか?
まずは意識することから、意識してあると思ってみるところからでしょうか?
毎日、印を結んでいたのがよかったのかな??
ご興味ある方、探してみてくださいm(_ _)m
(私が紹介して差支えがあるかもしれないので、具体的なやり方のご紹介は控えました)
あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。
光子でした。
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誰でも神様のエネルギーがわかるようになる、のかもしれない
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