こんにちは!占い師の光子です。
6年前に整えた我が家の神棚ですが、
「スペースがせまくてお供えが全部並ばない」
と、お正月のたびに思っていました。
そこで来年のお正月に向けて、
大きな神棚板に取り替えてもらいました。
こうやって取り外し&取り付けてもらいまして
完成!!!!!
比べてみるとこんな感じです。
ビフォア
アフター!!!!!
ひろーーーいいい!!!
三方を2台置いても、まだ置けるくらい広いです!!
毎年狭すぎて、ろうそくをつけると鏡餅に引火しそうになっていたので、これで一安心です。
あまりに嬉しくて、久々にテンションが上がりまくっていました。
ところで、神様スペース拡張のこの日のために、
野菜・果物・魚・お菓子など特別なお供えを
用意したのですが、これらの用意をするのに、
私には気になることがありました。
それは、
「生のままお供えするべき?
それとも調理してお供えするべき?」
というのも、今一般的に神様へのお供え(神饌)は、生のままです。
伝統的には調理したものを供えていた神社もあり、
特に、特別なお祭りの時には、今でも調理したものを供えている神社もあります。
例えば、下鴨神社の御蔭祭の神饌など。
細かく調理法の記録も残っています。
そして我が家の神棚の神様は、
リンゴを丸のままお供えすると、
「切ってほしい」
とのご希望や、お箸やフォークも要望されます。
どうしたものかな?と思い、神様に尋ねてみました。
「来週、神棚板を大きいものに交換するので、特別なお供えを用意します。お供えは生のままが良いですか?それとも調理したものが良いですか?」
神様のお答えはと言うと…
「どちらでもよい。
ただし、調理したものを供えて、
自分は人とは違うだとか、目立とうだとか、
そういう気持ちがあるのならばそれはよくない」
でした。
ちょっと驚きませんか?
私は正直、
「ほー、なるほどね」
と思ったと同時に、もしかしたら私の中にもそんな気持ちがあって、それを神様に見透かされたのかもしれない、と自分を恥じる思いがしました。
何かの行為をするのに、その動機が何なのか、というのは伝わってしまうみたいですね。
特にお供えは、自分のためにするものではなく、神様のためにすることです。
その行為を、本心からの捧げたい気持ちではなく、その行為自体を自分の見返りに変換させようとする心ではいけない、と言われているように思いました。
神様は、いつも本当に大らかなんですよね。
だから、要はなんでもいいんだと思うんですよ。
でもあくまで、神様へのお供えを自己顕示に使うのではなく、本心で供えるからこそ、なんでもいいのだろうと思います。
ところで何をどこまでお供えをするかべきか迷い、
「お頭付きのお魚とか召し上がりたいですか?」
と伺うと、
「食べたいに決まってるー!!」
とテンション高くお返事くださいました。
伝わりますか?神様のこの親しみやすいかんじ。
何でも見抜かれていて、私たちの力量を遥かに超えた存在なんですが、究極的には人間のような親しみやすさをお持ちなんですよね。
喜んだり、ムッとしたりね。
(もちろん神様を怒らせることはしちゃだめですよ。大らかですけど、超えてはいけない一線はあります)
と、神様ばなしはこのへんで。
神棚のことは、ぜひ大渓水さんに!
福岡の伝統風水 オフィス大渓水
あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。
光子でした。