こんにちは!神様とご縁を繋ぐ 光子です。
夢を見たことや、娘の登校が難しくなったことで、愛のことを直視した話、後編です。
(前編はこちらです)
娘にとってどうするのがベストかわからなくなって、教頭先生と面談の機会を持ったのですが、そうですね…
先生には全く悪気はなかったと思うのですが、知らなかった新情報を知って、結構ショックを受けたのは事実でした。
というのは、娘は同じ学年の子同士で交流を、積極的にしないようにしている、というもの。
だからこそ、4年生の今年は、大人ではなく子ども同士で関わるよう、先生が方向付けをしていたという話も。
全然知らなかったですね。
1年生の時から、友達に誘われても、自分がしたいように休み時間を過ごしていると本人から聞いていたので、
「誘われるうちが華だよ?誘われた時は一緒に遊んだら?」
とは伝えていたのですが、1年生の時に感じた懸念が、先生方から見てもはっきりわかる形で、出るようになってしまっていたようです。
その後にあった、心理士さんとの話の中でも、似たような話が出て、もやもやした気持ちを、どうすることもできなくなってしまいました。
詳細は控えますが、
「それって結局、娘が他の子の攻撃の対象になることが当然ということですか?」
「それって、私の育て方が悪かったってことですか?」
と言いたくなる事実をつきつけられて、なんかもう…本当に参ってしまいました。
指摘があったことのうちの一つは、娘だけでなく、息子も同様に持ち合わせている性質に対するもので、その性質自体は、決して悪いものではないんですね。
どちらかといえば、歓迎されたり褒められたりする類のもの。
けれど、私にとっては子どもが二人とも持っている性質なので、それがこれくらいの年齢の子どもの普通だと思って、過ごしてきたことでもありました。
それがここに来て、普通じゃないという指摘を受けて…
先生は私の子育てが悪かったと言われたわけではなかったのですが、標準を知ったり、疑いを持ったりすることなくここまで来てしまった自分自身が、親として間違っていたかのような感覚になったのです。
さらには、お会いしたことのない方から受けた、お仕事に対する批判とか、反対に
「この人は私と同じものを感じ取っているだろう」
と思っていた人から聞いた
「普通は神様のエネルギーはわからない。それはすごいことだよ!!」
という私の予想に反したお言葉、しかも批判とは真っ向から対するものとか、そういう考えなくていいもののことを一気に考えてしまって、自分の中がわちゃくちゃになってしまいました。
この間、結構仕事も忙しくてですね。
鑑定のご依頼も普段以上に立て続けにいただいていて、自分を奮い立てて鑑定させていただいていたのですが、なんだろう、本当に自分として釈然としない鑑定しかできず、初めて「いつでも返金できる準備」をしていました。
個人的なことは仕事に持ち込まないと決めているのに、本当にダメで、まずそもそも飛べないのです。
だから、普通の時なら、カードを広げて見ただけで、お客様の状態がわわー!!っと見て取れるのですが、本当に、何もわからなくて…
とはいえお客様からいただいた、大切な時間とお金ですから、とにかくロジカルにカードを読むに徹していました。
でも、お客様が私に期待していたのって、そういうことじゃないはずだよなと…
もう本当に落ち込んだ…
冷静になった今なら、
「こういう自分の状態の悪い時は、お客様の日程のご希望には沿えなくても、ご予約を先延ばしにしていただいた方がいい」
と思えるのですが、そこまで頭も回らず、お受けしてしまって、本当に反省。
ご希望に沿えるよう、可能な限り早い日程でできた方が、お客様のためになる(私が多少無理してでも)というのは、もうこれからはやめようと、強く思いました。
そんなこんなで落ち込んだり、
「何が正しいのかわからない。私が今までやってきたことって、何だったんだろう」
という虚無感に襲われたりと、とにかく落ちる一方で、
「やばいな、私ちょっと鬱っぽいぞ…」
と出口のないところに入ってしまった自分の状態を、自分で危惧していました。
そんな本気で苦しかった折に、母の命日が近かったので、家族でお墓参りに行くことに。
正直体力的にもきつくて、朝から出かけるための準備をするのもしんどい。
とはいえ、お母さんのためだものと、みんなで出かける準備をしていました。
共感してくださる女性は多いのではないかと思うのですが、化粧をしてる時って、忙しくても、なんだか凪っぽい瞬間なんですね。
気持ち的にバタバタしていないというか。
だからなのか、私は化粧をしている時に、何かひらめくことが多いのですが、この日は
「あ、帰りに〇〇神社行こう。子どもはお父さんに預けて、みんなは先に帰ってもらおう」
と思いつきます。
〇〇神社というのは、名称は控えるのですが、ブラッドパッチ(脳脊髄液減少症の治療のための、手術のような処置)を受けるために入院する日の朝に、
『入院する前に来い』
とお呼び出しがあった神社で、到着したと同時に、太鼓が鳴って、朝のお祈りが始まった、ということのありました。
(その時のエピソードはこちら)
太鼓のタイミングのみならず、その後とても不思議なことがあったのですが、それを書いちゃうと、わかる人にはどこの神社かわかってしまうので、書かずにおきます。
この日にお参りしたのを境に、私のメインのお守護さんは、こちらの神社の神様に替わられたようで、たびたびお叱りを受けたり、お導きをいただいてきたのはもちろん、なんだかとても安心する神様なのです。
たくさんの神社の摂末社にいらっしゃる方(そして我が家の神棚にも)ではあるのですが、東京なら有名どころはここ、という神社が、この時思いついた神社でした。
お墓参りを終えて、家族でご飯を食べてから、ひとり〇〇神社に向かいます。
楽しい一人時間で、大好きな神社に向かっているというのに、本当に苦しいのはぬぐえなくて、道中何度も立ち止まって、その場にうずくまってしまいそうになりました。
とは言え、立ち止まったらもう進めなくなってしまいそうで、なんとか自分を奮い立たせながら、神社にたどり着きました。
神社は、お祭りでもあるのかな?というくらいの人出。
外国人観光客と、七五三とお宮参りと…
こんなに人がいるの珍しいなと思いながら、
「長い列に並んでお参りする元気はないな」
と、まずは摂末社に向かいました。
ぼーっとしているからか、これまで気づかなかったことに気がついて、
「この絵、こんな昔からあるのか(年号が入っていた)」
とか、
「〇〇神社って、ここにも書いてある!」
とか、子どもが気づくようなあれこればかりを見て過ごします。
人の少ない摂末社で、ふわふわしたまま神様にお祈り。
こんなんでごめんなさいと思いながらも、元気をいただいてきました。
そして、摂末社を出たところで、ちょうど誰も周りにいない瞬間があったので、鳥居のすぐそばで、立ち止まって、そしてうずくまりました。
ずっとやりたかったことですね。
でも、やったら、もう立てなさそうだと、避けてきたことです。
うずくまったら最後、もう立てない気がしていたのに、神様のおそばだったからか、数分後には
「よし、立とう」
と立ち上がることができました。
考えてみれば、その間誰も来なかったんだな、不思議。
うずくまる前より、ずっと元気になっていて、神様には本当に感謝です。
摂末社の神様の前に一度戻って、感謝を申し上げてから、いざ大混雑の本殿・拝殿の前へ。
結構な長さの列でしたが、
「並ばないことには、永遠にご挨拶できそうにない」
ということで、列に並びました。
列が進んで私の番に。
なったと同時に、御祈祷を受ける方々が拝殿に入ってきました。
そして私が祝詞を唱えていると太鼓が鳴って、御祈祷が始まりました。
「あら、なんか、すごいタイミングだな」
と思いつつ、祝詞を最後まで唱えますと…
突然はたと、
「『愛』だ!」
と、はっとしたのです。
それはひらめいたようでもあって、思い出したようでもあって、
「ここの神社であったことを、愛の話としてブログで書いた!」
ということも突然思い出した「愛」のことのうちの一つでした。
「愛」のことを思い出したのと同時に、神様からの愛を、とても感じていてですね。
こんな経験は初めてだったのですが、神様にとても愛されていると、深く感じていました。
それは、光とか、キラキラのエネルギーではないのですが、神様が私に向けてくださっている意思のようなものが、私を包んで守っているような、優しさと力強さがありました。
その言葉にできない存在を感じながら、
「神様は私を愛している、そして私は娘を愛している」
と言葉としてはっきり自分の中でつかんだのです。
つかんだはつかんだものの、何かつかみきれてない…
その何かが、思い出したブログの中にあるような気がして、神様に一礼してから、急いで拝殿前の階段を下りて、過去に書いたブログを探しました。
そこに書いてあったのは、こんなことです。(過去ブログ「〈愛〉の話」より引用)
(久しぶりに来られたのが嬉しくて、摂末社をお参りした後に再度本殿の前(拝殿)に戻ってきた、という話が前にあります)
キラキラをかけてほしくて戻ったわけではなく、
やっと来たのに帰るのが名残惜しかったのですが
「お参りは、1回目が大事なんだな」
と身に染みてわかり、なんだかちょっぴり悲しくなりました。
そんな気持ちで、とぼとぼと拝殿の前の階段を降り始めると、
「いつもそばにいるからな」
と突然声がしました。
私は驚いて、思わず振り返ります。
神様がそんな言葉をかけてくださるとは夢にも思わず…
「自分でわかってるだろう」
「それはお前が成し遂げようとするかどうかだ」
「そんなことしなくてもすでに偉業を成し遂げてるだろう」
のように、どちらかと言えば優しいというより、
いつも突き放すような言い方をされるので、
想定外のお言葉でした。
〈愛〉の成り立ちは、振り返る人の姿でしたね。
そして私は神様の言葉に、そう、振り返ったのです。
そんなふうに思ってくれているとは夢にも思わず。
要するに自分に向けられた愛が、想定外だったので振り返ったのです。
自分が「そばにいるよ」みたいな愛を向けてもらえているなんて、夢にも思わなかったのです。
私がこの体験の前に、
〈愛〉は振り返る姿と聞いて解釈していたのは、
「大丈夫かな?困っていないかな?」
と気に掛けて振り返る姿が愛、ということでした。
要するに
『愛を差し出す時は、振り返るような気持ち』
ということです。
でも今回の体験を通して
『愛を受けとる時も確信が持てなくて振り返る』
と気づかされました。
この経験から、
〈愛〉は、確かにそこにあるのに、
差し出す時も受け取る時も、自信がないもの。
けれど、確実にそこにあるもの。
それが〈愛〉なんだ!
と結論付けました。
そして、Sinsō Card75枚の英訳が終わりました。
あなたもきっと、
気づかずともきちんと愛されていて、
気に掛けながら誰かを愛しているのではありませんか?
その愛が、ちゃんと届きますように。
まさか自分が書いた文章で、泣くことがあるとは考えたこともなかったのですが、この文章を読んで、泣いていました。
私が悩んでいたことの答えは既にあって、そして文章の形で残していました。
さらには娘とどう関わったらいいのか、どう愛したらいいのかも、書いてあったのです。
私ができるのは、神様が私たちにしてくださるのと同じように
「いつもそばにいるからね。大丈夫、安心して行っておいで」
ということだけ。
その上で、本人がこれが必要と求めたものを、できる限りの形で整えてあげることだけでしょう。
逆に言うと、本人が求めてもいないものを、あらかじめこちらが用意するというのは、愛のようでいて、そうではない可能性が高いかもしれません。
愛を与える側の、エゴや自己満足、不安を埋めるための何かである可能性すら、あるかもしれません。
私が娘にしてきたことの中に、そういうことは少なからずあったでしょう。
そして、それらに気づいてからというもの、娘や息子との関わり方を変えました。
と言っても、大きく変わったわけではなく、大きく変わったのは私の心持ちだけだとは思うのですが、ひとつ言えるのは、子どもの気が済むまで、ハグや抱っこをすることに決めました。
そりゃ、忙しかったり時間がなくて、ここで終わりね!という瞬間もあるのですが、そうでない限りは、子どもから離れていくまで、ずっと抱っこをし続けることにしました。
そうしたら、意外と娘はハグを求めることがすぐに少なくなって、息子の方が甘えん坊をしていることが多くなりました。
更には、娘の方から
「保育園の時は全然思わなかったけど、1年生の頃から、私だけみんなと違って変なんじゃないかと思うようになったの」
と彼女の苦しさの根本を話してくれました。
意外と最初のきっかけと思っていたお友達トラブルそのものは、大きなダメージではなく、それ以前からずっとあった、興味関心の対象が違うことや、自分のしたい話が同学年の子に伝わらないこと。
更にはそれらの蓄積から出来上がってしまった自分自身の異物感や、自分を責めるような気持ちこそが、彼女の苦しさの源だったのだと、初めてわかりました。
何に苦しんでいるのかわかったら、とれる対応もあるし、話し合うことも伝えることもできます。
そして彼女は12月に入ってから、食べたい給食メニューに惹かれて、学校に通うようになりました。
とはいえ、まだ私が送って行っていて、教室ではない場所からオンライン授業を受けているのですが、クラスメートが順番に一緒に給食を食べに来ているとのこと。
自分が入っていくのはできなくても、受け入れることはできる、というところまで回復しました。
これからどう進むのかは、本人のペースで。
始めに望んでいたゆっくりペースでの関わり方に、学校も合わせてくれるようになったので、穏やかに進んでいます。
行かないなら行かないで、まぁいいか、くらいの気持ちで、こちらはいようと思います。
とはいえ、給食に惹かれて、結局昨日までの一週間は毎日学校に行き、来週からの給食がない数日も、行くつもりでいるとのこと。
私が思っていたよりも、ずいぶんな急展開で、娘と学校のあれこれは、解決に向かいつつあります。
そして神社での出来事、それから子どもたちとの新しい関わりの中で見つけたのは、
「母も私を愛していたんだ。うまくできなかったかもしれないけれど」
ということでした。
私が気がつくような形では、母からの愛があったかはわからなくなっていましたが、確実に母からの愛もあったのだと気がついたのです。
本当に踏んだり蹴ったりで、苦しい日々でしたが、ちょうど命日だった母からの
「愛しているよ」
という、想いに気づかせてくれる出来事だったのかもしれません。
神社での話に戻りますと、気づかせていただいたことへの感謝と、帰る前の退出のご挨拶を神様にするために、拝殿前の階段を再び上りました。
人の並んでいない横の端から上って、手を合わせて一礼して簡単にご挨拶をすると
『もう帰るのか?』
と神様からお声がけが。
そういうことなら、ということで、ちょうど拝殿の中で行われていた御神楽(御祈祷の続き)を眺めることにしました。
以前ここの神社で御祈祷を受けた時、御神楽の音楽が崩壊しそうで困惑したことを、ブログで書いたのですが、今回の音楽は、非常に整っている!!
「踊ってるお姉さん、リズム感よろしくないな」
とは思ったものの、音楽は非常にリズムも速度もメロディーも、安定しています。
御神楽の後に、越天楽(雅楽)も演奏していたのですが、それを聴いて
「これは、神社の人じゃなくて、音楽の人が演奏してるわ」
と納得。
私も学生の時、越天楽やったもん!(副科で)
この安定感で越天楽ができるのは、そんなに簡単ではないのは、よく存じております。
そして、神様のご様子はと言いますと、以前の崩壊しそうなお神楽の時と同様に、嬉しそうに、楽しそうにご覧になっていました。
「おお、あの時と同じだわ…」
と驚きつつ、神様にとっては整っているか、崩壊しそうかといったことは大きな問題ではなく、
「神様のために人が何かをする」
という、それだけで嬉しいのでは?と以前にも増して確信を得ました。
それが、私たちが神様の愛に対してできる、愛へのお返しのようです。
考えてみれば、私も子どもたちが私のために何かをしてくれるだけで嬉しいです。
整っているかどうかに関わらず、お手紙や絵を描いてくれたり、私のためにとお菓子をとっておいてくれたり。
お手紙をもらった瞬間がとても嬉しかったので、お手紙は全部保管しています。
そして、妹がくれる手紙も嬉しかったので、実は全部取っておいてますね(^^)
というわけで、神様は、私たちを子どもと同じような感覚で、愛してくださってるのかもしれません。
神社で過ごしたこと、そして気づきを得たことで、来た時のしんどさはどこへやら。
すっかり元気になって、軽快に帰路につきました。
そして、気づきを得たことで、その後の実生活にも突然変化が!?
その話はまた、改めて(^^)
あなたの毎日が
今以上に素敵なものとなりますように。
光子でした。